2007年11月04日

02 「愚陀仏庵」の紹介


愚陀仏庵  (ぐだぶつあん)
愚陀仏庵
漱石と子規が共同生活していた下宿屋
所在地
松山市一番町3-3-7 【地図】
TEL
089-921-3711
ホームページ
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アクセス
大街道駅より徒歩3分
休館日
月曜日
開館時間
9:00〜17:00
入館料
無料(お茶席は300円)

 夏目漱石は1895年、松山中学の英語教師として松山に赴任してきました。最初は「城戸屋」「愛松亭」に数ヶ月暮らし、その後に上野義方の離れ座敷だった「愚陀仏庵」に移り住みました。この愚陀仏庵という名前は、正岡子規が付けた名前で、漱石の別号「愚陀仏」に由来しています。

当時の愚陀仏庵は残念なことに第2次世界大戦の空襲にて焼失してしまいましたが、戦後、愚陀仏庵は萬翠荘近くに復元されました。当時愚陀仏庵があった場所には石碑が建てられています。

 夏目漱石と正岡子規、愚陀仏庵にて52日間ともに暮らす
 夏目漱石と正岡子規は大学以来の大親友。漱石が松山に英語教師として赴任してきた際、子規も病気療養のため、故郷の松山に帰ってきていました。

1895年8月27日、愚陀仏庵に子規が訪ねてきて以降、 10月19日まで漱石が2階、子規が1階で共同生活を送ることになります。

この共同生活が後の小説家漱石に大変の大きな影響を与えるとになろうとは、このとき漱石は知るよしもなかったことでしょう。
夏目漱石と正岡子規 夏目漱石と正岡子規

 愚陀仏庵での共同生活エピソード@ 「ドンチャン騒ぎ」
 子規はとにかく賑やか好きで、下宿の1階に俳句仲間を呼んではドンチャン騒ぎ。 漱石は相当うるさく思っていたようですが、内心ではうらやましく思っていたそうです。

そして漱石は俳句仲間の輪の中へ徐々に入っていき、打ち解けていきました。このとき、漱石は子規から俳句の手ほどきを受けていたようです。

 愚陀仏庵での共同生活エピソードA 「貧乏な子規」
 漱石は松山中学にて教鞭を振るっていましたので、日中子規は当然愚陀仏庵で一人になります。そして子規は昼食に出前をとっていたそうで、お金はすべて漱石のツケ。

その後、子規は東京へ戻ることになりますが、漱石との別れのとき、
「つけ代払っておいてね」
というやりとりがあったとされています。

このことは漱石を相当呆れさせたのではないでしょうか。
半分笑いながら「なんじゃそりゃ!」って思っていたことでしょう。

posted by あっくん at 05:02 | 道後・松山観光