2007年11月18日

正岡子規の軌跡06 「松山中学校跡」を訪れて・・・


松山中学校跡  (まつやまちゅうがっこうあと)
松山中学校跡
所在地 松山市一番町4-3 【地図】 休館日 ----
TEL ---- 開館時間 ----
ホームページ ---- 入館料 ----
アクセス 市役所前駅より徒歩1分 備考 NTT四国ビルの玄関前にある

 子規7歳のとき、法龍寺の本堂を校舎としたいわゆる寺小屋形式の末広学校に入学し、習字、読方、算数、修養談を勉強していました。

ちょうどその頃、松山市内に勝山学校と言う学校ができ、この学校が新方式の教育を教えてくれるということで、子規は末広学校を1年足らずで辞め、勝山学校に転入しました。

ちなみに、時を同じくして秋山真之が勝山学校へ入学しました。以降子規が亡くなるまで竹馬の友として固い友情で結ばれることとなります。

 勝山小学校を卒業した子規は松山で唯一の松山中学校に入学しました。正岡子規は同級生の太田正躬・竹村鍛・三並良・森知之の5人で五友の会を結成し、頻繁に学習会を開いていたそうです。エリート5人組みといったところでしょうか。彼らは校長から表彰を受けるほど成績優秀だったそうです。

入学から3年後、子規は東京帝国大学入学を目指し松山中学校を中退し上京します。その後、須田学舎、共立学校(現在の開成高校)を経て大学予備門(東京帝国大学への登竜門)に入学します。

松山中学校は後に愛媛県尋常中学校と改名し、 1895年4月夏目漱石が英語教師として赴任してきます。

posted by あっくん at 01:06 | 正岡子規の軌跡を訪ねて・・・